お母さんのいう通りにしていればいい
子どものころから、息苦しさと常に隣りあわせだった。
母親と言葉が通じる感覚を持てなかった。
何をしても、何を言っても聞いてもらえない。頭ごなしの否定と拒絶。
かすかな反抗的な思いに従い、自分の気持ちやしたいことを伝えてみても、すべて虚しく地面にたたきつけられた。
「お母さんにまったく届かない・・・」
言ってみたことへの後悔だけが残った。
虚しくて、悲しくて、心が寒くて、そしていつの日か心の感覚はマヒしていった。
「お母さんの言う通りにしていればいい」
「お母さんの望むようにしていなければいけない」
家でも学校でも、あやつり人形のように母の望む行動を考え、選ぶようになった。そして、心の奥底には、冷たい諦めが静かに横たわっていた。
私は、お母さんみたいにはならない
「どうせわかってもらえない」
自分の本当の気持ちを出すことを、無邪気でいることを
いつしか自分に禁じるようになっていた。
「私は、お母さんみたいにはならない」
12歳の頃から、そう決めて生きてきた。
大人になっても変わらず、心はずっとずっと苦しかった。
人前で話す仕事に就いたけれど、何を話せばいいのか、どう話せばいいのか分からない。私は、いつも自信がなかった。
「母に批判されたくない」という思いと
「自分らしく生きたい」という思い。
両立するはずのない答えを、いつも追い求めていた。
他人軸で、矛盾だらけで、答えなど出てくるはずがなかった。
そして、「自分の気持ちを感じ、言いたいことを言う」 という、人として当たり前のこととさえできなり、ある日 言葉が出なくなってしまった。
私を苦しませていたのは母ではなく私自身
すべては母のせいだと思っていた。
しかし、30歳になる頃…
突如として自分を苦しめていた本当の原因に気づいた。
「『お母さんだったらどうするか』『お母さんがしないのはどういうことか』って、私は『お母さん』のことばかり考えていたんだ!」
「私は『お母さんみたいにならない』とずっと思ってきたけれど、
そう思っていること自体、ずっと『お母さん』を意識しているということなんだ!」
「あんなに頭の中から排除したかったはずなのに、私自身が『お母さん』を私の中に住まわせていたなんて…」
そのときの衝撃を忘れられない。
大嫌いで、許せなくて、あんな人になりたくないと思いながら、
しがみついて、忘れないようにしていたのは、ほかでもない私自身。
私を苦しませていたのは、母ではなくて、母にとらわれ続けていた私。
その時以来、「自分がしたいこと」「自分の基準」を意識するようにした。
母を意識しないこと、母と比べないことが、私にとっての自立の第一歩だった。
すると、思いもしなかった自分に出会うことになった。
誰かの未来を「感じとってしまう」こと
空気を読み、優等生で、しっかりテキパキすることが得意だと思っていたのに、それができなくなっていった。
逆に、私が私でいることを自分に許したら、自然にやるようになったこと、できるようになったことがあった。
それは、理屈では説明できないような「感覚」
相手の中に置き去りにされていた「子ども」の部分に触れ、引き出し、
一緒に遊ぶこと、そして魂を輝かせること。
なぜかはわからないが、誰かの未来を「感じとってしまう」こと。
本人も気づいていなかったキラキラと輝く未来に導くこと。
私が私でいることを許したら、まるで、ちいさなつむじ風に、そっと巻き込んでしまうようにそんなことができるようになっていた。
Mother Tree「 母なる樹 」
母にとらわれ、母に苦しめられて生きてきたと思った私が、
実は母の呪いに自分から飛び込んでいたんだと気づいた瞬間から、
私の本当の人生が始まった。
「母なる樹」と名付けたこの場所。
そこへいちばんに駆けつけ、癒され、生きなおしたかったのは、
ほかでもない私自身だった。
子どもの自分を押し殺し、早く大人になろうとしていた私が
「もう一度、子どもを生きなおそう」と決めた時から、私の中の「子ども」が息を吹き返した。
そして、「子どもの私」を生きなおし始めたからこそ、「大人の私」も同時に覚醒した。
「子どもの私」も「大人の私」も私の中に存在することを認められたとき、私はようやく統合されたひとりの「私」になった。
本当の大人になるには、本当のこどもを経験すること
私のところに相談に来られる方は、一見きちんとした大人の方が多い。
きちんと責任と常識をもってまじめに生きてきた、でも、大人になりきれない苦しさと向き合っている方。
そんな方に、わたしは伝えたい。
あなたは愛され、許され、守られる唯一無二の存在であるということ。
あなたの素直な気持ち
無邪気さ
純粋さ
楽しさ
喜び
愛
それを心の底から感じられ、信じられた時に、あなたは大人になる。
「子どものあなた」と 「大人のあなた」の本当の笑顔と輝く未来は、
探さなくてもすぐそこにある。
実体験から、私はそう信じている。